ひと頃…写真に夢中になり出した頃、どこを向いても目の前にフレームがありました。今でも、常にとは言わなくても、割と目の前にフレームがあります。なので、出来る限りカメラと一緒に行動します。重いだけ…の事が多いですけれど*^^*
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>kirinさん
そうそう、フレームが現れますよね。
その中に光が飛びこんだり、ネコが入ってきたりとか。
重いけど、カメラを持っていなかったときのくやしさを思って、
やっぱり持ち出している自分がいます(*^_^*)
そうそう、フレームが現れますよね。
その中に光が飛びこんだり、ネコが入ってきたりとか。
重いけど、カメラを持っていなかったときのくやしさを思って、
やっぱり持ち出している自分がいます(*^_^*)
切り取ってこそ。
概ね同意です。私も、今でこそGRに首ったけ人間ですが、基本的には望遠ズーム大好き人間で、切り取らずに漠然とした写真を撮るよりは、切り取りすぎて後悔する方がいい、とさえ思ってます。
一頃連載していた漆器職人さんの写真も、8割がた、70-200の望遠ズームで撮影していました。
ただ、GRっていうのは、28ミリという画角は、不自然なほどに寄らないと、周りの空間が写り込みます。
最初はそれが嫌で仕方なく、なんて使いにくいカメラなんだろう、って思ってたのですが、さて、記事を書こうか、と思い見直してみると、その生々しい空気感に、「これも捨てがたいな」と感じるようにもなってきました。
なんていうか、ガッ!と一点に集中した写真とはまた違った、茫洋とした視線が、望遠ズームレンズ原理主義者の自分には新鮮な気がしました。
渾身のクローズアップは、撮影していた時の緊張感と創意工夫の想いがよみがえりますが、28ミリの視線は、その時の素の思い出がよみがえるような気がしています。
mminorunさんのおっしゃる「切り取る」が、単純なクローズアップのことでは無いのは承知していますが、一時期写真の世界でよく言われていた「写真は引き算」という概念に対して、今の自分は「たまには足し算も面白いよね」というテキトーさがブレンドされちゃってます。
概ね同意です。私も、今でこそGRに首ったけ人間ですが、基本的には望遠ズーム大好き人間で、切り取らずに漠然とした写真を撮るよりは、切り取りすぎて後悔する方がいい、とさえ思ってます。
一頃連載していた漆器職人さんの写真も、8割がた、70-200の望遠ズームで撮影していました。
ただ、GRっていうのは、28ミリという画角は、不自然なほどに寄らないと、周りの空間が写り込みます。
最初はそれが嫌で仕方なく、なんて使いにくいカメラなんだろう、って思ってたのですが、さて、記事を書こうか、と思い見直してみると、その生々しい空気感に、「これも捨てがたいな」と感じるようにもなってきました。
なんていうか、ガッ!と一点に集中した写真とはまた違った、茫洋とした視線が、望遠ズームレンズ原理主義者の自分には新鮮な気がしました。
渾身のクローズアップは、撮影していた時の緊張感と創意工夫の想いがよみがえりますが、28ミリの視線は、その時の素の思い出がよみがえるような気がしています。
mminorunさんのおっしゃる「切り取る」が、単純なクローズアップのことでは無いのは承知していますが、一時期写真の世界でよく言われていた「写真は引き算」という概念に対して、今の自分は「たまには足し算も面白いよね」というテキトーさがブレンドされちゃってます。
> kobatetuaprilさん
こんにちは。コメントうれしいです!
わたしも28㎜の感覚、大好きなんです。
広く世界をとった上で、ポツンとか。よく撮ります。
といっても、やはりわたしも、クローズアップばかりを追っていたこともありましたし、今もアップの描写は好きです。
世界観をひろくとらえた上で、全体に集中して、自分に必要なものを取り入れられていたら、いいのかもしれないですけどねー。
でも、あとからよく見ると、切りとったはずが、自分の目で見ていたのとは違うものも写りこんでいたりすることもあったりして。おもしろい。
写真だからこその楽しみですよね。絵画だったらそういう気づきには出会えないですから。
こんにちは。コメントうれしいです!
わたしも28㎜の感覚、大好きなんです。
広く世界をとった上で、ポツンとか。よく撮ります。
といっても、やはりわたしも、クローズアップばかりを追っていたこともありましたし、今もアップの描写は好きです。
世界観をひろくとらえた上で、全体に集中して、自分に必要なものを取り入れられていたら、いいのかもしれないですけどねー。
でも、あとからよく見ると、切りとったはずが、自分の目で見ていたのとは違うものも写りこんでいたりすることもあったりして。おもしろい。
写真だからこその楽しみですよね。絵画だったらそういう気づきには出会えないですから。